プレサンス元社長冤罪事件国賠一審判決は取調べの可視化の意義を損なう。
- 弁護士秋田真志
- 3月21日
- 読了時間: 6分
更新日:4月9日
2025年3月21日、プレサンス元社長冤罪事件国賠訴訟第1審判決(大阪地裁第12民事部 小田真治裁判長、大谷智彦裁判官、伊藤佳子裁判官。以下、「本判決」)は、思わぬ原告敗訴判決となった。本判決は、起訴検察官である蜂須賀三紀雄主任検察官の様々な判断の誤りを指摘しながら、起訴時の判断としては「全く不合理とは言えない」と繰り返し、結果的に免責したのである(最判昭和53年10月20日民集32巻7号1367号の趣旨を過度に忖度したものと言える)。
しかし、ご存じのとおり、この事件では起訴前に、田渕大輔検察官が、山岸忍さんの部下であるK氏に対し、脅迫的・侮辱的な取調べを行っていたが、その取調べは特別公務員陵虐罪に当たるとして、大阪高裁により付審判決定が出された(大阪高裁2024年8月8日決定)。その違法取調べから得た証拠による起訴を「全く不合理と言えない」と免責できるであろうか。
ちなみに、本国賠訴訟において、被告国はその取調べ可視化媒体の提出を徹底的に拒んでいたが、最高裁は、山岸さんの主張を認める形で、田渕検事が机を激しく叩いたり、「検察なめんなよ」などと大声で怒鳴る取調べの可視化媒体の文書提出命令を認め(最高裁2024年10月16日決定)、同媒体の一部が、国賠訴訟の法廷でも再生された。
この田渕検事の取調べについては、本判決も、「田渕検事の机を叩いた行為や怒鳴った行為、その発言内容は、Kを威迫して田渕検事の意に沿う供述を無理強いしていると評価できるもので、身体拘束されて取調べを受けている被疑者を畏怖させたり、検察官に迎合する供述を誘発する危険性があることが明らかな著しく不適切な取調べ方法である」と認めつつ、主任の蜂須賀検事について、「蜂須賀検事は、統括審査検察官(ママ)※から、田渕検事が机を叩いたり、大声で怒鳴ったりしている場面があったという内容を含む報告を受けていた… のであるから、田渕検事によるKに対する…取調べの録音録画を視聴してその任意性や信用性について慎重に検討すべきであった」ともする。ここまでの本判決の判断に異論はない。
※正しくは、「総括」審査検察官。村木事件を受けての一連の検察改革で設けられた。「特捜部が大規模又は 複雑困難と認められる事件の捜査を行う場合において、検事正が公判部の検察官から指名する。当該事件における全ての証拠を把握し、それらを整理・分析した上、捜査主任検察官とは別の立場で、公判における弁護人としての視点を持ちながら、捜査主任検察官が事実認定上又は法令解釈上の問題点について適正な判断を行っているかを審査する立場だという(最高検察庁「検察改革-その現状と今後の取組」/仙台高等検察庁検事長 北村道夫「検察改革の現状について」 )。
問題はその先である。まず本判決は、「蜂須賀検事は、統括審査検察官からの報告にもかかわらずこれらの録音録画を視聴しなかったと認められる」と認定する。山岸さんの弁護団は、主任検察官である蜂須賀検事が、可視化媒体を見ていなかったなどとは到底考えていない。あのような取調べは特捜部で日常茶飯事であったため、視聴した上でも「スルー」した可能性が高いからである。現に、特捜部部長は視聴していた事実が田渕検事の証言から明らかである。総括審査検察官から指摘を受け、さらに特捜部部長は視聴しているにもかかわらず、全証拠を精査すべき主任検察官が視聴していなかったというのはいかにも不自然である。そもそも国賠訴訟の陳述書や尋問でも、蜂須賀検事の供述は、見たとも、見ていないとも断言しない、曖昧なものであった。蜂須賀検事は、過去の自らの強圧的な取調べについて、明らかな虚偽証言をしたという事情もある。本判決が、蜂須賀検事が録音録画を見ていなかったとする認定は、不自然不合理というほかない。
その点は、ひとまず措こう。本判決も「蜂須賀検事が視聴しなかった」という認定の上で、次のような批判はする。
「このような蜂須賀検事の行動は、いかに捜査に時間的制約があるとしても、容易に正当化できるものではない。また、特別公務員暴行陵虐罪の嫌疑があるとされるほどの取調べ方法であるにもかかわらず、統括審査検察官が任意性を損なうものではなかったとの報告をすること からすると、検察庁内部においてこの種の取調べに対する問題意識自体が希薄なのではないかと疑われるところであるし、統括審査検察官の制度自体が有効に機能しているのか自体にも疑義を生じさせかねないものである」。
上記の事実認定に輪をかけて、およそ承服しがたいのは上記判示に続く判断である。本判決は、次のように述べる。
「そうではあっても、主任検察官である蜂須賀検事が長大になり得る取調べの録音録画の全てを視聴するのは容易ではなく、少なくとも統括審査検察官はこれを視聴していたのであるから、Kに対する取調べは、本件公訴提起以前の段階で、調べを行った以外の検察官による検証は経ている。そして、Kと接見をした同人の弁護人からも取調べ方法についての苦情等の申入れがあったとは認められないことを考慮しても、蜂須賀検事が両日の録音録画を視聴しなかったことから直ちに、蜂須賀検事において原告の関与に関するKの供述の信用性を肯定したことが不合理とされるべきとまではいえない」。
呆れた判断と言うほかない。つまり、違法取調べがあったが、蜂須賀検事は可視化媒体を見ていない以上、違法取調べで得られた供述で山岸さんを起訴することには問題なかったというのである。これでは目をつぶってさえすれば、責任は免れるというのと同じである。そもそも「視聴した」かどうかの問題ではない。山岸さんの嫌疑の唯一の証拠と言うべきK供述が、違法な取調べによって強制されたものであることが明らかであるにもかかわらず、その点について、総括審査検察官、特捜部長も含めた検察庁内部で不合理な評価、判断がなされ、その結果、山岸さんが冤罪に陥ったことが問題なのである。
この場面に限らず、本判決は、蜂須賀検事が山岸さんを起訴した判断について、「全く不合理とはいえない」を連発することによって、免責した(追って、このブログで本判決の他の問題点についても報告する予定である)。上述のとおり、起訴に関する違法性を限定した旧来の最高裁判決に過度に忖度したものと言わざるを得ない。しかし、最高裁判決より時代は進み、さらに大阪地検特捜部は、村木事件という大スキャンダルを起こした張本人である。検察官によって繰り返された明らかな誤判断を免責・擁護する本判決は、取調べの可視化の意義を大きく損ない、冤罪の再生産にもつながるであろう。
弁護団として全力で控訴審に取り組み、明確な形で正されることを期したい。
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